障害について
障害とは
障害(diability)を定義することは思いの外難しいものです。日本の法律などの多くは、医学的に個々に障害とされたもののうちから、「これを障害として考えます」というものを指定しています。けれども、そもそも障害とは何か、という障害概念ははっきりと定義されていません。
WHOは1980年に障害の概念を呈示しました。それによれば、身体的な障害があって(impairment)、能力が障害され(disability)、社会的生活が障害されている(handicapped)こととされています。これは医学的な障害をベースとする考え方です。旧来の障害概念の多くがこのモデルにしたがって障害やその支援を考えてきました。

しかし、この定義は2000年に改訂されました。その新しい定義によると、心身の機能や形態、個人の活動、社会参加のそれぞれが独立に、しかし相互に関連しながら、障害されると考えられます。また、「障害」の対概念に「健康」が置かれました。この新しい定義は、障害が医学的な状態に必ずしももとづかないこと、社会的な障壁によって人は障害を持つようになることを、を強調しています。逆に言うと、社会のあり方によって人は障害者にも健康な人にもなる、ということを示唆しています。

たとえば、視力が弱いとしてもメガネやコンタクトがあれば個人が能力を発揮し、社会に参加することはできます。こうした「メガネ」や「コンタクト」を社会が用意できるかが、人が障害者になるかどうかの分かれ目になる、と考えるわけです。
この新しい障害観は、医学的な意味での疾患・障害(disorder)が存在することは認めながらも、障害(disability)が「個人の特性」ではなく、「個人と社会の関係の中」に生じることを訴えています。名古屋大学のアビリティ支援センターも、この新しい考えにもとづいて、支援の形を模索しているところです。
障害種別
1.身体障害
医学的な意味での身体障害は、視覚障害、聴覚障害、言語障害、肢体不自由、疾病等による障害が挙げられます。
視覚障害
視覚障害とは、映像をとらえる眼球、映像を伝達する視神経、映像を処理する大脳などで構成される視覚系のいずれかの部分に機能障害があるために、見ることが不可能または不自由になっている状態のことです。程度としては、全くまたはほとんど見ることができないという状態(盲)と、見ることに不自由な状態(弱視)に分けることができます。
弱視は、一般的に、メガネやコンタクトなどを利用しても、視力が低い状態を指します。しかし、弱視には、以下のような状態も含まれます。視野が狭められている状態(視野狭窄)、視野の中に失われている部分がある状態(視野欠損)、明るい場所でものが見えない状態(羞明)、逆に暗い場所で見えない状態(夜盲症)、自分の意思とは関係なく眼球が動く状態(眼振)、両目で見るときにものが二重に見える状態(複視)、色の判別を付けにくい状態(色覚異常)などです。つまり、視覚障害とは、私たちが通常イメージする低視力の状態だけではありません。
また、すべての視覚障害者が点字を使っているわけではなく、音声によって主に情報を得ている人もいます。たとえ、点字を用意したとしても、点字が読めない人にとっては情報保障にはならないことになります。このことは、視覚障害者への支援方法が、画一的ではないことを意味します。したがって、個々人のニーズを把握した上での支援が求められます。
聴覚障害
聴覚障害とは、音を伝達するための構造や機能に(例、外耳、中耳、内耳、聴神経など)に何らかの問題があり、聞こえる音域が限定されていたり、その明瞭度が低かったりする障害です。医学的に両耳が 100dB 以上で「ろう(聾)」(例、ガード下の電車走行音が聞こえない)、そして高度、中等度、軽度の難聴と聴覚レベルに応じた診断がなされます。先天性と後天性の難聴の他に、何らかの理由で突然聞こえにくくなる突発性難聴や、機能的にはなんら問題はないのですが、心理的要因が原因とされる機能性(心因性)難聴などがあります。
聴覚器官は、大まかに外耳、中耳、内耳、聴神経に分けられますが、外耳、中耳に問題がある場合を伝音性難聴、内耳、聴神経に問題がある場合を感音性難聴と言います。前者では、音を伝達する骨や鼓膜などに問題があるため、いわゆる「集音能力」が低く、そのため大きな音であれば聞こえる場合も多いです。音を増幅させる補聴器の使用で日常生活に支障がほとんどないこともあります。一方で、後者の感音性難聴は、言わば神経性の難聴で、内耳で音の処理がうまくされなかったり、電気信号がうまく脳に伝わらなかったりします。そのため、音の内容がはっきりしない、音が歪(ひず)むなどの問題が起こります。うまく処理できない、ないしは伝わらない音声情報部分を補うように調整がなされた補聴器や音を増幅させる補聴器を使用します。両者に問題がある場合を、混合性難聴と言います。
聴覚障害の程度は、デシベル(dB)という音の大きさを表す単位で表現します。数値が大きいほど、聞こえないことになります。ですが、「聞こえない」には、上述したように様々な「聞こえない」や「聞き取れない」があり、状態も様々です。また、学生生活においても困難はいろいろな形があります。例えば、大講堂の講義のマイク音は聞き取り難かったり、議論が主体のセミナー形式の講義では、話す人も複数人になるので大変になったりします。個別の状況を把握し、どのような方法で支援を行うかを精査する必要があります
言語障害
言語障害とは言葉を話したり、理解したりすることについての障害があるものを指します。頬、唇、舌、生体などの発声に用いられる気管やそれを司る筋肉、脳神経に異常があるために発生に困難が生じる構音障害と、言語を理解するブローカ野やウェルニッケ野といった脳の領域に異常があるために言葉を読む、聞くなどの形で理解したり、書く、話すなどの形で表出したりすることに困難が生じる失語症とがあります。
構音障害があると、言語の理解には問題がないものの、それを実際に言葉にして話すということがうまくできません。そのために、話すスピードがゆっくりになる、ぎこちない、言葉がぷつぷつ切れる、発音が不明確になる、といった症状が現われます。しかし、運動機能以外の機能は障害されていないため、書くことに問題はありません。一方、失語症の場合には運動機能には問題がなくとも、言語の理解そのものに部分的、または全般的な問題があります。大きく分けて、言葉は理解できても言いたいことが言葉にならない場合(ブローカ失語)と、言葉の意味そのものが理解できないために話していても意味が通らないことを話している場合(ウェルニッケ失語)とがあります。 言葉は人間にとって重要なコミュニケーション手段です。どのような障害であっても、言葉に不自由があるということは、考えや感情を共有することが困難であるこを意味します。大学の学修は言語による部分も大きいため、それだけ負担も増えることになります、リハビリテーションとともに、IT機器などを活用した学修補助の方法も考える必要があるでしょう。
肢体不自由
肢体とは、四肢(両手・腕と両足・脚)と体幹(胴体)を意味しています。肢体不自由とは、四肢と体幹の機能障害により、日常生活上の困難が一定期間にわたって続く状態のことをいいます。その原因としては、事故や病気などが考えられますが、肢体不自由かどうかは、一定期間にわたる日常生活上の困難があるか否かで判断されます。
肢体不自由者イコール車いす利用者と捉えられがちですが、下半身のみに困難がある人だけではありません。全身に困難がある人、上半身のみに困難がある人、または身体の一部が欠損している人、さらには姿勢を維持することができない人などが肢体不自由者の中に含まれます。その程度も、日常生活に大きな困難がある場合から、ほとんど困難がない場合まで、さまざまです。肢体自由者の中には、杖(クラッチ)を使っている人や何も使っていない人もいます。
また、肢体不自由の困難が外見上判別できないことも多くあります。たとえば、上肢はあっても力が入らなかったり力のコントロールができなかったりする人、体温調整が難しい人などがいます。肢体不自由者に対しては、外見上判別できない困難もあることを考慮した上での支援が求められます。
疾患等による障害
疾病等による障害には、内臓や免疫システムに機能的問題がある内部障害、糖尿病などの慢性疾患、難病による身体的・社会的機能の障害が含まれます。これらの障害により、身体機能、視力や聴力が低下したり、抑うつ症状を呈したり、また車椅子の使用が必要になることもあります。ですから、疾病を原因として身体障害(視覚障害、聴覚障害、肢体不自由)になることも、二次的に精神障害を併発することもあります。急性的な疾患によって、一時的に上述の障害が示されることがありますが、治療が優先ですので、修学支援の対象になるかは個別に判断されます。また、こういった疾病の治療により社会的な機能が低下することもあります。例えば、腎機能の低下により長時間の人工透析が必要になってしまうと、仕事や学業に、つまり社会的機能に障害が出てしまいます。
日本学生支援機構などの統計では、こうした障害は、「病弱・虚弱」という名前で呼ばれています。近年ではワクチン後遺症、新型コロナウイルス後遺症なども含まれています。また、肢体不自由を引き起こす筋萎縮性側索硬化症、変形性筋ジストニーなども疾患もこの「病弱・虚弱」という名前で扱われることがあります。支援においては、疾患にもとづいてではなく、病名に示される特徴や困難と、その人が抱え、解決を目指している問題とに目を向けて取り組む必要があります。
2.精神障害
精神障害や精神疾患と言われていますが、その定義は法律や診断基準によって様々です(例、DSM-5、ICD-10)。大学の中で支援の対象としてしばしば挙がってくるものには、統合失調症、双極症、うつ病およびうつ状態、不安症、吃音などがあります。
統合失調症
統合失調症は、幻覚や妄想、意欲低下、解体症状などを示す精神疾患で、遺伝的な原因があると言われていますが、まだはっきりとは特定されていません。症状は大きく陽性症状と陰性症状に分かれ、しばしば幻覚が現実ではないとか、自分が病気であるとか、が分からない(病識がない)とされます。継続的な治療によって日常生活を送ることはできますが、認知機能の低下や感情調整の難しさを抱え、幻覚が続いていることもあります。
陽性症状は、幻覚や妄想を中心としたもので、最もよくある幻覚は、存在しないはずの声が聞こえる幻聴です。存在しないはずのものが見えるといった幻視、存在しないはずのものが臭う幻臭、感じるはずの内体の感覚が生じる体感幻覚などもあります。妄想には誰かから迫害されているという迫害妄想、物を取られたり被害を被っているという被害妄想、人が付けてくるという追跡妄想、監視されているという注察妄想、自分のことが噂されているとか芸能人と恋愛関係にあるなどの関係妄想などがあります。考えがまとまらない、話が支離滅裂になるなどの思考障害や、考えていることが人に伝わってしまうとかいるという思考伝播、人から考えや感情を吹き込まれているという思考吹込、人に考えを則られてしまうという思考奪取などから成る自我障害も陽性症状の1つです。こうした症状はしばしば当人にとって苦痛な内容を伴うために、幻覚に苦しめられることになります。
陰性症状は、意欲の低下、感情の平板化、考えが浮かばないなどの思考の貧困化、さらに外界から閉じこもるといった自閉などを指しています。こうした症状のために人と関わらない、社会的常識に関心を持たない、整容や清潔さへの関心が失われる、内界に没頭していて周囲のことが見えていないなどの問題が現われてくることがあります。陰性症状だけでは診断はつきませんが、陰性症状自体が陽性症状から生じていたり、陽性症状から身を守るための防衛であったりすることもあるため、丁寧な見守りが必要となってきます。
双極症
双極症は、以前は躁うつ病と呼ばれていました。躁状態と抑うつ状態の2つを波のように繰り返すために躁うつ、双極という名前がついています。躁状態では、活動性が高まり、気分も高揚して、多幸感があるとともに、怒りやすさも高まります。よく話し、見た目が派手になり、睡眠時間も短く、1つのことから別のことへと思考も行動も移って行きます。そのため落ち着きがなく、人間関係のトラブルが生じやすくなったり、買い物やギャンブルなど金銭をめぐるトラブルも増えたりします。時には幻覚や妄想が生じることもあります。抑うつ状態では、うつ病のように気分の落ち込み、興味関心の減退、活動性の低下、食欲不振、無感動などが見られます。
双極症には、Ⅰ型とⅡ型があり、Ⅰ型は躁状態を含むもの、Ⅱ型は軽い躁状態があるが、完全な躁状態まではないものを指します。通常、躁状態と抑うつ状態は交代します。躁状態-抑うつ状態、あるいは躁状態-何もない時期-抑うつ状態などです。人によっては、躁状態と抑うつ状態が同時に現れて、活発に活動し、ぺらぺらと喋っているかと思うと、急に涙ぐんだり悲観的になる、抑うつ状態であるのに頭の中は忙しいという状態を示す場合もあります。
遺伝的要因が基盤にあると考えられ、薬物療法による治療が中心とされていますが、ストレスが引き金となって躁状態が始まることも言われています。治療は薬物療法を中心としたものですが、躁状態(あるいはその手前の軽躁状態)の時には本人にとって調子が良く感じられるため、治療の必要性が見落とされがちです。躁とうつの波、波と波の間が長くなることもあり、長期的な視野を持って状態を把握することが必要になります。
うつ病およびうつ状態
うつ病は、気分の落ち込みを中心とする疾患です。同じように気分の落ち込みを示すうつ状態がありますが、うつ病はうつ状態が2、3週間以上続いている場合に診断されます。症状には精神症状と身体症状があり、精神症状には感情面での障害、行動面での障害、思考面での障害などがあります。さまざまなストレスによって引き起こされると考えられていますが、身体的なメカニズムとしてはセロトニン、ノルアドレナリン、ドパミンといった神経伝達物質の以上が原因ではないかと考えられています。全体に活動性が低下するために、朝起きられない、学校や仕事に行けない、家事が出来ないといった日常生活全般での障害につながります。
精神症状には、気分の落ち込み、意欲の減退、興味・関心の喪失、楽しみや喜びを感じない、不安が高まる、イライラしやすくなるといった感情面での障害、何もしたくない、体を動かしたくない、人と会うのが億劫といった行動面での障害、物事をうまく考えられない、集中できない、本やテレビを見ていても内容が頭に入ってこないといった思考面での障害があります。身体症状としては、食欲が湧かないという食欲不振、眠れない、夜中に目が覚める、朝起きれないといった睡眠障害、疲れやすい、だるいといった症状があり、まれに体が痛いという痛みの感覚がともなうこともあります。こうした症状は身体的な疾患から生じている可能性もあるために、症状だけで判断するのではなく、身体面での診察も必要とされます。
うつ病に関して、最も注意しておかなければならない問題は自殺です。将来に対して悲観的になる、これから良いことが起こるとは思えないといった絶望感や無力感、あるいは人生における失敗や社会的な出来事の責任が自分にあると考える罪業感のために、生きていることが苦痛になって死を選ぶということが起こりえます。特に回復期にリスクが高まるとされていますので、継続的な治療的関わりが求められます。もとの元気な状態に戻ることよりも、うつの波に呑まれないような回復過程をたどることが目標になるでしょう。
不安症
不安症は、強い不安を主訴とするものですが、不安そのものは誰もが感じる感情です。しかし、その時の状況に不釣り合いなほどの強い不安を慢性的に感じるようになると医学的に不安症と診断されます。遺伝的な要因も考えられていますが、疲れやすい眠不足が続いているなどの身体状態に加え、心理的な負荷がある時に不安が続くとされています。強い不安が社会生活を困難にすると、障害としての不安障害と呼ばれるようになります。
医学的診断としての不安症には、いつも心配や不安が持続しているという全般性不安症、強いパニック発作に襲われるパニック症、特定の対象(たとえば広い空間や電車などの閉ざされた空間、特定の生き物や物)が恐いという恐怖症、特に人前で何かをするという場面が恐い社交不安症、何か思われているのではないかと人間関係が全体的に恐い対人恐怖症といった分類があります。不安が強まるとともに、頭痛、心臓がドキドキする、めまいがする、脈拍が早くなる、発汗がある、息苦しくなる、手足が冷たくなる、といった症状があり、パニック発作の時にはこのまま死ぬのではないかという恐怖も経験します。
その場の状況にそぐわないために人から理解されない孤立感やいつ不安におそわれるか分からない恐怖や先の見えない絶望感などから、人と関わるのを避ける、外に出るのが恐くなる、集中できない、うつ状態になるといった問題が現われます。薬物療法とともに心理療法が役立ちますので、治療的ケアを行ないながら活動の幅を取り戻していく支援が求められます。
吃音
吃音はいわゆる「どもり」(現在はどもりという言葉は差別的ということで使われなくなっています)の出る疾患で、スムーズな発話が困難であることを主な症状としています。2つ以上の単語からなる2語文以上を話すようになる頃から吃音が出るようになるもの、病気などによる神経性のもの、心理的なストレスや強いショックによって吃音が出るようになるもの、薬剤性のものなどがあるとされていて、特に発達に伴って吃音が生じるようになる場合には体質的な要因が強いことが考えられています。
吃音の中核的な症状としては「こんにちは」と言おうとした時に、「こ、こ、こ、こんにちは」と音が繰り返される連発、「こ」の後の音がスムーズに出てこないために「こーんにちは」と伸びる伸発、最初の音が出て来ずに発話に時間がかかる難発などがあり、これらが特定の状況、特定の言葉だけでみられることもあります。症状の現れには心理的な要因が関わっていることもあり、落ち着いてくつろいでいる時、発話を意識していない時などにはスムーズに話せることもあります。しかしながら、訓練によって治るという性質のものではないことを理解する必要があります。
言葉を話すことが難しいために、それを緩和しようと手や身体を一緒に動かしたり、特定の単語を避けるために別の単語を使用したりすることがあり、見た目以上に本人が苦労していることがあります。また、話すことに苦手意識を覚えたり、自尊心の低下を経験しているということもあります。特に身振りの使えない電話、注意の向かいやすいオンライン対話などが難しいと感じられたりします。吃音の症状に対して周囲が注意を向けすぎない、話し始めるのをゆっくり待つ、人によっては本人がいいたそうな言葉を投げ掛けるといった周囲の対応が役立つことがあります。
なお、ここでは日本学生支援機構の分類に従って精神障害にこれを含めていますが、日本においては一般に発達障害者支援法に定義される、発達障害として分類されています。